内懐の

知ってほしいと思いながら、知られたくないと思っている…

【南ビール】岸楢の恋愛観のズレ、そしてリレーが物語る転機【アイツのBLマンガ105話考察】

『アイビー沼地』というブログを閉鎖するにあたり、こちらにお引越しした記事です。2020/5/15に書かれました。

  • ⒈相反する恋愛観

岸楢編になってからやけに少女漫画っぽい雰囲気を帯び始めたが、それもそのはず。岸谷は姉ちゃんから借りた少女漫画etc.でたくさん勉強して必死にカッコイイ仕草を真似していたんだろうな(と考えると今では微笑ましい岸谷プロ)

page76『姉ちゃんが恋愛小説とかドラマ好きでさ 時々姉ちゃんに借りて読むんだけど 割と面白いんだよな』 <

一方で楢崎はボロボロになりながら体当たりでぶつかり合う泥臭い同性愛漫画ばかり読んでいる人間なわけで、かっこいい仕草でなんとかなってしまう少女漫画とは真逆の恋愛しか想定していない。

page105『オレが考えてた恋愛はこんなんじゃなかったんだ』 <

2人のもつ恋愛観があまりに対照的すぎて、岸谷と楢崎がすれ違っていくのは当然のこと。

個人的な意見だが、私は少女漫画の彼氏役のすかした感が凄く苦手で、その洗練された立ち振る舞いは完璧な仕草と態度をプログラミングされたロボットのようで、距離の遠さを感じる。彼らはその場で生まれた感情で動いているのではなく、予め組み込まれたロジックで動いているような気がしてしまう。 …楢崎も岸谷に対して同じことを思っていたのだと思う。だからちゃんとした岸谷なりの言葉が欲しい。そういうプロセス通りのイチャイチャじゃなくて…

  • 2.相反する欲求

学校ではイチャイチャできないから二人きりになった途端にがっつく…今見ると岸谷は年相応の高校生男子そのもの。『付き合う』=『手を繋ぐ、ハグする、キスする、と段階を踏んで最終的には…』としか考えていなそうな(笑) 高校生ってそんなものだと思う。

一方、楢崎は本当は自分では抱えきれない傷を一人で必死に引きずってきた子で、そんな彼が誰かと仲良くなったときに一番にしたいと考えることは『自分のすべてを打ち明けて傷の存在を知ってもらう』ことだろう。

ゆっくり話がしたい楢崎、そんなことしてないで恋人にしかできないことをとにかくしたい岸谷、…溝は深まるばかり。

  • 3.ついていけていなかったのはどちらか

とにかく手が早い岸谷と、半分引き気味の楢崎…104話以前では、『岸谷のペースに楢崎がついていけていない』という描写が多かったように見受けられる。

それが一気にひっくり返るのが105話。

楢崎が どんどん遠ざかる <

リレーの一連の描写が壮大な比喩を含んでいて、これまでの岸楢の軌跡を走馬燈のように思い起こさせる。

必死に追いかけて、楢崎にやっとのことで近づけたのだけど、バトンを手渡すことが出来ぬまま、今度は楢崎が自分から遠ざかっていく。

あんなに必死に追いかけたのに、やっと近づけたのに、本当の意味で心を交わすことが出来ぬまま、楢崎が自分から遠ざかっていくのだ。

高畑が足を引っかけたことによって岸谷は転倒、それにより楢崎の元までたどり着けなかったわけだが、 これも五十嵐の好きな子問題や水沢さんとの過去の色恋沙汰という外部の問題が絡んできたことによって楢崎の心が離れていったことの比喩であるように感じる。

岸谷が落としたバトンを拾ってズンズン先に進んでいく楢崎は、101話で岸谷を拒絶した楢崎そのものに思える。 岸谷の零した言葉に対して『もういいよ』と一方的に切り上げて離れていく様に似ている。

まだまだ想像は捗る。

片想いをしている間は、ある意味で相手が理想化されている。 相手のことをよく知らないうちの恋心というものは、芸能人の写真を見てちょっとかっこいいと思う、そんな感覚に紙一重の感情だ。 岸谷の恋も例の女装写真から始まり、なんとなく顔が好みという理由で一心不乱に追いかけた。当初の彼は、楢崎という人間そのものというより、楢崎の静止画に恋をしていたのだろう。

岸谷はリレー中、スタート地点に立っている楢崎を目指して走り続ける。そんな『静止』している楢崎を追いかけている状態から、近くまで来て立ち止まってみて初めて、自分の意思をもってそこに生きている楢崎を知ることができる。

あそこでつまずかなければ、追いかけるのをやめなければ、岸谷はいつまでも楢崎という人間に向き合うことができなかったかもしれない。

恋人として先に進もうとがっつくその手を止め、初めて楢崎の心を見つめた。 そんな記念すべき転機の瞬間が、このリレーでのつまずきによって描かれている。

(高畑の行動は胸糞でしかないので、せめてこうして意味のある描写なのだと解釈したい。)