内懐の

知ってほしいと思いながら、知られたくないと思っている…

【糸】緻密に織られた人生の縮図【映画『糸』全解説】

ふとした瞬間に感じる人生の美しさを追体験できる、まさしく結晶のような作品。
そんな貴重な映画『糸』に秘められたメッセージと誰もが抱きうる感情の片鱗を拾い出して眺めてみたい。

◤◢◤◢注意◤◢◤◢
・一度しか観ていないため、台詞はうろ覚え
・当然ネタバレしまくり

運命の糸を想起させるデジャブ感

『…あれ、こんなこと前にもあったよね』というデジャブな出来事に出会ったとき、人は心のどこかで運命を感じることがある。

葵(演:小松菜奈)と漣(演:菅田将暉)は中学時代の花火大会で出会い、ラストシーンも花火の下で再会する。
初めの出会いのシーンでは、花火大会に間に合わなかった漣。しかし、ラストの再会シーンでは、フェリーに乗って北海道を離れようとしていた葵の元にちゃんと間に合った

糸が千切れたとしても、何度でも同じようにまた出会う…糸の歌詞を象徴するような、この大規模な対句表現がとにかく美しい。

人生を前向きに縛る糸

中学時代の葵と漣が将来の夢について語り合うシーンがある。
サッカー選手になって『世界中を飛び回りたい』と語る漣とは対照的に、葵はただ切実に『普通の生活がしたい』と呟く。

時は巡り、大人になった2人は相変わらず対照的な人生を歩んでいた。
葵と出会った地元を離れることなくチーズ工場で地道に腕を磨く漣。
シンガポールに飛び立ち、ネイルサロンの経営者として華々しく活躍する葵。

…お気づきだろうか、この2人は…お互いが相手の夢を代わりに叶えるように生きているのである。

離れていても、もう会うことがないとしても、常にお互いに存在を意識して生き続ける。それも依存という負の鎖となることはなく、ただお互いの背中を力強く押す前向きな意識だ。

しかし、最終的には漣の開発したチーズは世界に認められ、葵も帰る場所のある普通の生活にたどり着くことができ、それぞれが自ら抱いた夢を叶えることができた。

時には断つべき糸もある

葵の母の愛人によるDV被害から逃げるため、年齢詐称をしてキャバクラに勤める葵。飲めない酒を強要され、トイレで吐きながらも愛想笑いでやり過ごす…
そんな泥を飲むような日々の中、葵は店に客として訪れた大手企業の社長・水島(演:斎藤工)に拾われ、流されるままに彼の愛人として生きる道を選ぶ。

葵の前に突然現れ、そして突然金だけを残して姿をくらました謎多き人物、水島。
彼は結局葵の心をかき乱しただけの存在だろうか?

…ところで、葵の母は常に恋に溺れ、恋人の存在が葵の人生に負の影をもたらすとしても、シングルマザーとして生きる選択はしなかった。
そしてそんな親の愛情を十分に感じられない環境で育った子供は、その飢えを満たすべく、常に自分を愛してくれる人間を求めるようになる。…このようなプロセスで、親がもつ負の性質を子が受け継ぐことは少なくはない。

『好きでもないけどとりあえず大切にしてくれるならいいか』という意識で水島にすべてを委ねる葵は、確実にそんな負のルートを歩み始めている。
水島は、そんな負の連鎖を絶ち切ってくれた人物といえるのではないだろうか。
自分の金で葵を経営学部に行かせ、最後に金だけを残して去った水島の真意は次のようなものかもしれない。

過去を引きずる生き方をするな。男に縋って生きなくても、手段さえ学ぶことができれば、君には自分で変えていく力があるだろう。

『過去があるからこそ結ばれた』という救い

共通の友人の結婚式で再会した漣と葵だったが、素っ気なく別れを告げて水島の車に乗り込む葵の姿から、漣は中学時代からの恋の終焉を予感して絶望していた。
そんなとき、漣は職場の先輩である香(演:榮倉奈々)の涙を目撃する。
聞けば香も中学時代から続いた関係が絶たれたばかりらしく、漣は『馬鹿じゃないですか…中学時代からの恋なんて続くわけがないじゃないですか』と言い聞かせながら香を抱きしめた。

その後、漣と香は正式に交際を始める。

葵と漣は別れの後、それぞれを忘れられずにいながらも、似たような境遇の人と寄り添って生きていたことになる。

  • 漣と香…どちらも中学時代から続く恋愛に破れた
  • 葵と水島…恐らく幼少期の境遇が同じ(『また魘されていただろ 俺もそうだった』から分かる)

似たような境遇の人との出会いは、『この人とわかり合うためにあの経験をしておく必要があったのかもしれない』と、辛い過去に大きな意味をもたらすことがある。
そんな過去への意味づけは、時に人の心を大きく救うものだ。

自らを守るただ一つの方法は、誰かを守ることかもしれない

水島の失踪後、行き場をなくした葵はキャバクラで一緒に働いていた友人である玲子(演:山本美月)に誘われるまま、シンガポールでネイリストとしての生活をスタートさせた。
現地のネイルサロンに勤務する二人だったが、ある日、玲子が客との揉め事によりネイルサロンを解雇されてしまう。
絶望し、日本に帰ろうとする玲子に対し、葵は二人でネイリストの派遣会社を起業しようと持ち掛ける。
『玲子のことは私が守る』『二人でどこまでも行こう』と満面の笑みを見せた。

これまでの葵は水島に縋る日々を送り、水島の会社が倒産したときには水島の部下である社員には『(自分たち社員の生活は崩壊するが)お前はもう十分金を吸収してこれからも変わらず生きていけるんだろうけど』と悪態をつかれる。
男に頼らないと生きていけなかった母親への嫌悪感もあるだろう。誰も(母親や漣でさえも)自分を守ってくれなかったことを無意識のうちに恨んでしまう自分自身がそもそも嫌いだったのかもしれない。

自分自身とは、人生の始まりから終わりまで常に付き合っていかなければならない存在だ。そんな自分のことを嫌ったまま生きるのは辛い。そして、過去や誰かを恨むことで人生を薄暗いものにしたくはない。

だから守る側でありたい…とても自然な感情だ。コンプレックスから逃げられるただ一つの抜け道を見つけたこの頃の葵は、この上ないほどに輝いていた。

『やられたらやり返す』が愛になる瞬間

漣と香は結婚し、産まれた子供は結と名付けられた。
しかし、結の誕生から三年が経った頃、香の身体は癌に侵されつつあった。

死期が近いことを悟った香は、ずっと内心で会いたいと思い続けていた元彼を病院に呼び出す。
そのことを漣に知られても香は堂々とした態度を崩さず、『運命って私はあると思う。私がいなくなったら、ちゃんと会いたい人に会いに行ってね』と告げた。

自分も元彼を忘れられないのは事実、そして漣も葵を忘れることはできずにいる。
自分が『会いたい』という感情に素直に行動したのだから、漣もそうしてくれないと釣り合わない。申し訳ない。
対等でいたいからこそ、やられたことはやり返してくれと願うのだ。

「そんな言葉は聞きたくない」と言う漣の背中にどんぐりを投げつけながら、
『私のことはいいから。行けよ、漣』

…それが最期の言葉かのように、場面は葬式の風景に移る。

むせび泣く香の両親の背中に、結の細い腕が巻き付いた。
「『泣いている人や悲しんでいる人がいたら、抱きしめてあげられる人になってね』って、お母さんがいつも言ってたの」

この言葉を聞いて、なぜか脳裏に蘇るあのシーン…

共通の友人の結婚式で再会した漣と葵だったが、素っ気なく別れを告げて水島の車に乗り込む葵の姿から、漣は中学時代からの恋の終焉を予感して絶望していた。
そんなとき、漣は職場の先輩である香の涙を目撃する。
聞けば香も中学時代から続いた関係が絶たれたばかりらしく、漣は『馬鹿じゃないですか…中学時代からの恋なんて続くわけがないじゃないですか』と言い聞かせながら香を抱きしめた。

…泣いている人を抱き締める癖は、元々は漣が持っていたものだった。

やられたことはやり返す。それが香なりの愛の形だったのだろう。

否定しきれない人の弱さ

葵と玲子の事業は大成功を収め、二人の会社の目覚ましい成長が窺える。
しかし、そんな華やかな生活は、突如発覚した玲子の裏切りによって終わりを迎えることとなった。

『どこまでも行きたかった…私一人で。』
最後の捨て台詞から、玲子の複雑な心の内がなんとなく想像できる。

キャバクラ時代、客に酒を強要される葵を『この子お酒弱いの』と庇ったのは玲子だった。
恐らく玲子は、葵が年齢を詐称してキャバクラで働いていることを知る数少ない人物なのだろう。玲子にとって葵は妹のような存在であり、そして、ネイリストという選択肢を葵に与えたのはほかでもない玲子である。

それなのに、なぜか葵が主導権を握っている。

あまりにも衝撃的な玲子の裏切り。だが、その背景にあるのは誰もが抱きうる小さな嫉妬。
動機が分からない裏切りや攻撃はただ胸糞悪いだけだが、動機が想像に難くないという整合性をもつからこそ、誰もが完全には否定しきれない人の弱さを描くことができるのかもしれない。

確かに舟はそこにある

家庭環境の劣悪さゆえ、近所の節子おばさんの家で食事をすることが多かった葵。
そんな葵との縁がきっかけで、節子おばさんは葵が町を去った後も近所の子供に無料で食事を提供する食堂を開くようになった。

そのことをニュースで知った葵は、久々に節子おばさんの家を訪問する。
近所の子供たちが賑やかに食事を楽しむそばで、葵は幼少期を思い出し一人涙しながら節子おばさんの手料理を食べた。

…そんな葵の背中に、細い腕が巻き付いた。

腕の主は小さな女の子。
女の子が葵から離れた途端、節子おばさんは葵に『あの子はチーズを届けに来たんだ』と告げる。
葵の頭に一つの可能性がよぎる中、ほどなくして女の子の父親が女の子を迎えに来た。父親の車を見て葵は確信する。
彼女の父親は…

…漣だ。

すかさず追いかけようとする葵だが、節子おばさんの言葉を聞いて足を止める。
『あの子のお母さん…死んじゃったんだ』

今の漣はあなたを必要としているかもしれない、という可能性を暗に匂わせる言葉選び。
もしも『あの子のお父さんは漣よ』とだけ伝えたとしたら、葵は『そっか…(私のことは忘れて)パートナーを見つけて新たな人生を歩んでいるんだな』と思い、漣との関係を本当に絶っていたはずだ。

中学時代のシーンでも、節子おばさんの言葉選びはとても印象的なものだった。
突然姿を消した葵を探す漣に対し、節子おばさんは
『昨日、あの子が初めて料理を教えて欲しいって言ってきたの。そのときのあの子が本当に嬉しそうで』
とだけ告げる。葵の居場所を明言するわけでもなく、漣の背中を確かに押すのではなく、ただ確かに『葵は漣を必要としている』…そんな可能性に気づかせるだけで、判断は漣に委ねている。
葵が失踪する前日、葵と若干すれ違う形で別れた漣にとって、これほどまでに『(葵の元に)行かなきゃ』という思いをかき立てる言葉はおそらく存在しない。

糸を結ぶ人

チーズ工場に帰った後、結は節子おばさんの家での出来事を漣に報告する。

『おばあちゃんのところに来ていた女の人が泣いていたの。おばあちゃんはその人におかえりって言ってた』

この言葉で、漣は節子おばさんの家に葵が来ているのだと確信し、一度は車に乗り込んだものの、やはり躊躇し踏みとどまる。

そんな漣の背中に、結の投げたどんぐりが命中した。

命中して嬉しそうな結。これは深い意味を持たない子供の遊びでしかないが、漣の頭の中にはあのシーンがフラッシュバックする。

「そんな言葉は聞きたくない」と言う漣の背中にどんぐりを投げつけながら、
『私のことはいいから、行けよ漣』

結の姿に重なった記憶に後押しされる形で、漣は再び葵を追いかけ始める。

と名付けられた少女…彼女は、漣と葵の千切れた糸を最終的にんだ人物だった。

受け継がれていく糸の交差

葵は漣から人の守り方を学び、同じように水島や玲子を守ろうとした。そして最終的には漣を守り、漣と支え合って生きていく道を選んだ。
香は漣から人の慰め方を学び、それを我が子の結にも教えた。は教わった通りに葵を初めとする様々な人を元気づけ、それは最終的に葵と漣をびつけることに繋がった。

この映画で描かれる人の優しさは、そのほとんどがから鎖していったものだ。

人は人を見て育つ。人間という生き物は基本的には、人からもらったことのあるものしか人に与えられないのかもしれない。

最後に、映画のタイトルにちなんで、葵と漣の人生を糸に喩えた深読みをしてみたい。

葵と漣の人生の交錯…交わる、離れる、あなたの代わりにこっちに行く、でもやっぱりあなたの元に戻る、私が本当に行きたかった方向にも行ってみる、…これって並縫いみたいじゃないですか?

2本の糸が『交わる→離れる』を繰り返すような並縫いは次のようなものだ。
単独では並縫いでしかないが、2本の糸で行えば返し縫いと同じように密で強固な縫い目となる。

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…この図を描いてみて、私の心は震えた。
偶然に‪もこの図は、DNAの二重螺旋に酷似しているのだ。

糸の交差(人との繋がり)は遺伝し、世代を超えて受け継がれていく…このことも、映画『糸』が言わんとしているメッセージの一つなのかもしれない。

余談

なんかいい感じで締め括っちゃった後に水を差すようでアレなのだが、実はこのブログを書いているのは映画を鑑賞した日の一週間後である。

つまり、筆者の記憶は相当朧気であるため、なにか重大なシーンについての記憶がバグを起こしている可能性も否めない。
もしもこのブログに書かれているあらすじが実際のストーリーとはなんか違うということに気づいてしまった方は、コメントで突っ込んでいただけると幸いである。

…とりあえず、このブログの真偽も含めていろいろ気になったなら映画館へGO。自分の目で確かめてみてほしい。