ペンローズの階段を愛せるか
人生なんてペンローズの階段みたいなものだと思っていた時代がある。
ここでいうペンローズの階段とは、日々の平穏さ、すなわち単調さの比喩である。上昇、下降はあっても、ある一定の道(一般的な人生のあらすじ)からは絶対に逸れることはない。
そんなエンドレスループに嫌気がさし、どこかで脇道に抜けたいとずっと思っていて、だから病に倒れ自分の生活が壊れたときに、心の奥底には「望みが叶った」と思った自分がいた。
人生を手放したいと考える人に、死ぬほど辛くなる決定的な何かがあったとは限らない。
むしろ順調だからこそ眩暈がするのだ、目の前がペンローズの階段かのように見えてくる。いつになっても休むことが許されない、無限に上昇と下降だけを繰り返す世界に嫌気が差して、下界に飛び降りたくなることだってある。
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…そんな思考から脱し、『人生はペンローズの階段である』というイメージをようやく否定できた頃に、ペンローズの階段が不可能図形であることを知った。
あの頃の思考は錯覚だっただろうか?
無限階段など存在しない。
それでも現実がどうであるかに関わらず、私達の目にはそう見えてしまう。そして、目の前に広がる視界が自分にとってのすべてであり、そこが生きていかなくてはならない世界なのだ。